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    ハイドンの四重奏曲はモーツァルトを奮起させ、モーツァルトの四重奏曲に接してハイドンは四重奏曲を極めた。モーツアルトの弦楽四重奏曲を、これほど楽しく爽快に弾く四重奏団は他にない。4人の演奏家仲間がモーツァルトの音楽を心から楽しんでいるのが伝わってくる。
    DE DGG 2720 055 アマデウスSQ モーツァルト・弦楽四重奏曲集
    DE DGG 2720 055 アマデウスSQ モーツァルト・弦楽四重奏曲集
    作曲の禁じ手とされる五度を使った弦楽四重奏曲の極み ― 名門アマデウス四重奏団が、1970年代にレコーディングしたハイドン作品集は機械的で正確なアンサンブルという以上に、4挺の楽器が骨の髄まで溶け合い、何とも親密で流れの良い音楽を紡ぎ上げていきます。
    最も室内楽の鑑と言うに相応しい録音のひとつでしょう。1950年代の録音に比べ、60年代から70年代のアマデウスSQの演奏には一種の鋭さが感じられる。ロマンティックな情感と現代的感覚が有機的に結びつき、弦楽四重奏団としての最高の高みに達していたわけである。このハイドンは、名盤の名に恥じぬものだ。

    DE DGG 2530 302 アマデウスSQ ハイドン・弦楽四重奏
    DE DGG 2530 302 アマデウスSQ ハイドン・弦楽四重奏
    US WESTMINSTER XWN18036 アマデウスSQ & ウィーン・コンツェルトハウスSQ モーツァルト・弦楽五重奏曲
    US WESTMINSTER XWN18036 アマデウスSQ & ウィーン・コンツェルトハウスSQ モーツァルト・弦楽五重奏曲

    ベートーヴェンの『第九交響曲』終楽章で、弦楽器だけのアンサンブルで奏でられる箇所があるが、弦楽四重奏の形態がクラシカル(古典派)音楽の基本だから、交響曲や管弦楽曲だけでなく、是非親しんで欲しいが“弦楽四重奏曲の最高峰はベートーヴェン”ときいて、それも後期の作品から、いきなり始めて辛気臭いと弦楽四重奏を敬遠してしまうことになったら不幸なことです。
    クラシック音楽の批評や、レコード紹介を生業としていて弦楽四重奏曲を苦手とすることはないものですが、パーソナルな面が浮き出るところかもしれません。それは選者の趣味、傾向が露呈すると言い換えられるでしょうが、わたしをクラシック音楽に没入させたのが、構造美や、旋律美、清廉な弦楽四重奏団のレコードでは無しに、決然としたエロティックがあるアマデウス四重奏団のブラームス演奏でした。表面的にはキレのある演奏に思えなかったのですが、どうしてもそれで片付けられない思いで長年聞き返すレコードになってくると、極めて濃密に絶妙に絡み合う充実度の高いアンサンブルは、この団体のポテンシャルの高さを如実に表していることに虜になってしまいました。

    アマデウス弦楽四重奏団
    アマデウス弦楽四重奏団は1948年に結成され、1987年に活動が停止するまで、約40年もの長きにわたり演奏活動を続けてきました。このモーツァルト弦楽四重奏曲全集は、彼らが最も充実した時期に録音されたもので、不朽の名演として知られてきたものです。モーツアルトの弦楽四重奏曲を、これほど楽しく爽快に弾く四重奏団は他にない。その楽しさを共に感じることが出来る幸せ。ぜひ、どの曲からでも気軽に聴いていただきたいものです。
    とりわけ「ハイドンセット」での彫琢を極めた結果獲得した大きな立体性と、同時にのどかな詩情もあわせもった表現が忘れられない。ブラームスやドヴォルザークに繰り広げた潤いに満ちた表現で、4人の演奏家仲間がモーツァルトの音楽を心から楽しんでいるのが伝わってくる。アマデウス四重奏団は、50年代にヴィーン風の雅びた、よい意味での簡素なスタイルから始まり、60年代ころには古典的な清澄さを美点に、ロマン的な傾向に発展していったようだ。
    楽曲の解釈にみる高い見識とアグレッシブさ、それに美しい響きと音色、安定した録音を併せ持った、この『モーツァルトの弦楽四重奏曲全集』は、彼らが最も充実した時期に録音されたもので、古典派弦楽四重奏曲の構成力や緊張感は損なわず、低弦をおおらかに充実させ、優雅なメリハリをもたらして、温かさに満ち溢れた、たいへん聴き応えのする演奏に仕上がっている。

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    機械的で正確なアンサンブルのアマデウス四重奏団。第2次世界大戦後間もなく結成され、デジタル録音時代まで約40年もの長きにわたり不動のメンバーで活動を続けた。現代的感覚を探求するのか、ヴィーン風の雅びた簡素なスタイルから始まり、時代を追う毎に音楽はロマンティックな情感を帯びていく。このレコード録音時代には一種の鋭さが感じられる。
    ヨーゼフ・ハイドン
    ヨーゼフ・ハイドンは1732年に生まれ、1809年に亡くなっています。その77年の生涯は、29歳から58歳までを過ごした30年に及ぶエステルハージ時代を中心に、それ以前とそれ以降の3つの時期に分けて考えることができます。「エステルハージ以前」の28年間は、幼少期の声楽やさまざまな楽器演奏の修行、青年期に入ってからの作曲の勉強により、弦楽四重奏曲を多数作曲したほか、十数名という小編成オーケストラのための交響曲を作曲して指揮するという実地経験により高いスキルを身につけた時期。
    続く「エステルハージ時代」の30年間は、楽才にも恵まれたニコラウス・エステルハージ候のもと、二十数名規模のオーケストラも常設され、安定した境遇下で膨大な作品を作曲・演奏しています。シュトゥルム・ウント・ドラング(疾風怒涛)様式と言われるスタイルが導入され、数多くの交響曲やピアノ・ソナタ、弦楽四重奏曲、協奏曲、そしてオペラやオラトリオが書かれたほか、ニコラウス候が熱中していたヴィオラ・ダ・ガンバに似た楽器「バリトン」を主役にした「バリトン三重奏曲」も大量に作曲されています。
    それに伴い海外での名声も高まって、1780年代なかばからは作曲依頼が舞い込むようになり、『十字架上のキリストの最後の七つの言葉(管弦楽版)』や、『パリ交響曲集』、『ドニィ交響曲集』などの傑作が生み出されます。「エステルハージ以降」の19年間は、二度のロンドン長期滞在により、国際的な知名度を獲得した時期で、市民がお金を払って訪れるコンサート・ホールという環境で、大型のオーケストラを駆使して演奏される楽曲を創造した円熟の頂点ともいうべき時代でした。
    モーツァルトとカルテット
    モーツァルトの四重奏曲は大きく分けて二つのグループに分かれるとアインシュタインは述べています。まず、前半のグループに属するのは、1772年から73年にかけて作曲されたK136〜173の間の15の作品と、10年間を隔てて再び取り組まれた弦楽四重奏曲第14番から最後の23番まで。こちらがモーツァルトの弦楽四重奏曲として一般的に認知されている作品群で、後期弦楽四重奏曲と言うときはこのグループの作品のことを言います。第14番からの6曲は、『ハイドン・セット』としてハイドンに献呈されていることからも、ハイドンの四重奏曲に接してモーツァルトを奮起させたことが明らかです。
    ベートーヴェンの『第九交響曲」終楽章で、弦楽器だけのアンサンブルで奏でられる箇所は弦楽四重奏曲のことを「四人の賢者による対話」と喩えられる理由が伝わるようですが、最初から4つの楽器が対等の立場で繊細で緻密な対話を展開していたわけではありません。ヴァイオリンが主導的な役割を果たし、チェロやヴィオラが通奏低音のような役割しかはたしていなかったこの形式の作品をその様な高みへと初めて引き上げたのはハイドンでした。
    ハイドンの「太陽四重奏曲」は、若きモーツァルトを圧倒し、初期のウィーン四重奏曲を書かせる動機となりました。ですが、モーツァルトが後期弦楽四重奏曲まで10年間空白があると等しく、「ロシア四重奏曲」を発表するのは9年ぶりのことでした。この作品はハイドン自身が「全く新しい特別な方法」で作曲されたと自負しているように、まさにこの作品において弦楽四重奏曲は「4人の賢者による対話」と呼ぶに相応しいスタイルを獲得することになり、この作品との出会いはモーツァルトにとって「芸術家しての生涯における最も深い感銘の一つ(アインシュタイン)」となりました。
    この「ロシア四重奏曲」6曲の完成度の高さと意義とに感銘を受け、2年あまりをかけて同じく6曲の弦楽四重奏曲(ハイドン・セット)を作曲しハイドンに献呈したのです。しかも、モーツァルトのこの10年は作曲家として完全に成熟させる歳月となっており、このような時代を画するような作品に出会って深い感銘を受けても、今度はもはや圧倒されることはありませんでした。
    同時進行していたモーツァルトとハイドンの好取合せ
    DE DGG SLPM139 191 アマデウスSQ モーツァルト&ハイドン・弦楽四重奏曲
    DE DGG SLPM139 191 アマデウスSQ モーツァルト&ハイドン・弦楽四重奏曲

    本盤はモーツァルトの「ハイドン・セット」集に含まれる《弦楽四重奏曲第16番 変ホ長調 K.428》とハイドンの「エルデーディ四重奏曲」集に含まれる《弦楽四重奏曲第76番ニ短調作品76-2「五度」》の組み合わせ。「五度」のタイトルは冒頭のテーマの特徴的な音程の意味。
    1楽章は全体を通して五度が使われていて見事。ハイドンの今までの集大成的な意味合いが強く、よりメロディアスになっています。この『五度』の音程は「モーツァルトの5度」と称されるほどに、モーツァルトの最初の交響曲第1番には作曲学において御法度である平行五度が3箇所ある。しかもそれは表出る使われ方でもなく、その後も隠し味同然に頻繁に使用されるモーツァルトの音符の署名のようなもので、レクイエムの絶筆となった箇所が同じく禁則の空虚五度でした。でも、その禁じ手がモーツァルトの音楽を聴いていてしびれさせるのです。
    ちなみに、ベートーヴェンの交響曲第6番や交響曲第9番を空虚五度で開始しているのはハイドンやモーツァルトの延長線上にあるように、意志が働いたかのように思えるのである。

    元気を出したいときによく聴く、不動のメンバーが晩年に残した珠玉のハイドン。アマデウス弦楽四重奏団は1948年に結成され、1987年に活動が停止するまで、約40年もの長きにわたり演奏活動を続けてきました。アマデウス四重奏団の演奏は、はじめて聞くアマチュアの演奏に「良い曲だな」と思う時に似ている。そういうところからか何度聴いても、初めて聴いた時の感激と興奮が戻ってくる。常に同じメンバーで、アンサンブルに磨きをかけ続けたアマデウス弦楽四重奏団が、晩年に残した珠玉のハイドン作品集。
    第1ヴァイオリンであるブロイニンの艶のある音色、ロマンティックな歌いっぷりの良さ。他の楽器もそれぞれ主体的に動き、爽やかでイキの良いアンサンブルを構築します。 演奏者の感情のノリや思いがストレートに表され、輪郭クッキリ、強弱ハッキリ。歌いまわしもたっぷりと表情豊かでありながら、抜群の落ち着きと品位を保っています。
    その演奏スタイルは格好良さとは無縁、一所懸命だけど全然厳しくなく、心底アンサンブルを楽しんでいる仲間たちの姿が伝わってきて、とっても微笑ましく音楽を聴く楽しさを享受するのにアマデウス四重奏団とハイドンとの相性は最高です。一種の鋭さがある60年代後半のアマデウス四重奏団のハイドンと、モーツァルト。モーツァルトが頻繁に使った作曲の禁じ手とされる五度を使ったハイドンと、ハイドンに捧げたモーツァルトの組み合わせが憎い。

    Cello – Martin Lovett、Orchestra – Amadeus-Quartett、Viola – Peter Schidlof、Violin – Norbert Brainin, Siegmund Nissel。1966 Release。